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埼玉県

埼玉の寄居周辺の城跡

hachiyon

子供も休みだったので、ご近所で歴史の勉強をしてきました。

今日行ったのは、「鉢形城歴史館」というところです。場所はこちらです。↓

(はちがたじょう)と読みます。

立派な建物の歴史館でしたよ!

私も知らなかったのですが、北条氏がおさめていたお城とのことで、Wikipediaによると

鉢形城は、深沢川が荒川に合流する付近の両河川が谷を刻む断崖上の天然の要害に立地し、その縄張りは唯一平地部に面する南西側に大手、外曲輪、三の曲輪(三ノ丸)の三つの郭を配し、両河川の合流地点である北東側に向かって順に二の曲輪(二ノ丸)、本曲輪(本丸)、笹曲輪と、曲輪が連なる連郭式の構造となっている。搦手(からめて)、本丸、二ノ丸、三ノ丸および諏訪曲輪には塹壕(ざんごう)をともない、また北西側の荒川沿岸は断崖に面する。
 初めて築城したのは関東管領山内上杉氏の家臣である長尾景春と伝えられている。その後、小田原の後北条氏時代に北条氏邦によって整備拡張され、後北条氏の上野国支配の拠点となったほか、甲斐・信濃からの侵攻による最前線として重要な役割を担っていた。
 その後、下野国遠征の足がかりともなったが、その滅亡とともに廃城となった。 また跡地の周辺には殿原小路や鍛冶小路などの小路名が伝わっており、小規模ながら初期的な城下町が形成されていたことが窺える。

今日は時間がなく、鉢形城址の散策はできなかったので、また次回行きたいと思います。今日は歴史館のみの見学でした。なので、城址の写真(土塁などの写真)がなくて、すみません。

また、近くには、「花園城址」「用土城跡」「猪俣城跡」「虎ヶ丘城址」「四ツ山城本丸跡」「金尾要害山城跡」「安戸城跡」などなど、たくさんの城の跡が存在します。

ぜひ時間を作って、この周辺の城跡をめぐってみたいものです。

※ちなみに、「城址」と「城跡」はどちらも「城のあった場所」を指しますが、使い方や意味に微妙な違いがあります。

城址(じょうし)とは、「城の土台や基礎が残っている場所」を指します。例えば、石垣や土台が現存している場合に使われます。
城跡(しろあと)とは、「城が存在していた場所」を意味し、現在は何も残っていない場合にも使われます。

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Terao.Shinya
Terao.Shinya
ファイナンシャルプランナー/無線技術士/電気主任技術者/工学修士の群馬村民
インターネット黎明期からホームページを作成をしている管理人は、妻と3人の子を持つパパ。群馬県在住。電気系・通信系資格をメインに25個の免許・資格取得。人生を楽しく過ごすために役立っている免許は、普通自動車免許と大型自動二輪免許のみ!
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